コロナ [日々のつれづれなること]
新型コロナウイルスのことで、皆心がざわざわし、不安な気持ちで過ごしている。連日のめまぐるしいニュースの進展についていけていない。私も、見えないウイルス、世界的なコロナウイルスの広がりに不安を感じる。
日本では、マスクの品薄でインターネットでの高額な販売があったり、ドラッグストアで店員さんがお客さんにマスク関連で怒鳴られたりして疲弊している話も聞く。また、ティッシュペーパーやトイレットペーパーがスーパーから消えたりしている。私の住む町でも同じようなことが起こり、昨日まであったティッシュペーパーとトイレットペーパーのコーナーががらんがらんになっているのを見た時には、なんだか怖いように感じがした。余っていたのは、チリ紙のみ。チリ紙上等!じゃないかと思い、私はチリ紙を買った。昔、おばあちゃんが一回使用したチリ紙を丁寧にたたんで、またポケットにしまっていたことを思い出した。古い端切れを使用していた家もあったなあ。
また途上国に住んでいた時、トイレットペーパーが買えない家のトイレには、雑誌の束が置かれていて、それで拭いていた。
色々な工夫はできるけれどなあ・・・と思いながら。
このような状況の中で、少しほっこりするような話が届いた。
このようにティッシュペーパーがなくなったりする中、オランダでは、イーストが品切れになっているそうな。
コロナで外出を控えるようになったら、家でパンを焼いて食べる、という発想のよう。
お国によって、品薄になるものは違えど、国民性が出るのか、何なのかはわからないけれど、考えさせられる行動の違いではある。
また、イタリアで休校になったある学校の校長先生から、生徒に宛てた手紙は素敵だ。
(一部抜粋)
冷静さを保ち、集団パニックに巻き込まれないでください。具体的対策(手洗い・うがい)を怠らず、日常生活を続けてください。
この機会を利用して、散歩をしたり、良質な本を読んでください。体調に不備がなければ、家にこもっている理由はありませんが、スーパーや薬局に殺到し、マスクを探しに行く理由もありません。マスクは病人の人に必要なものです。
人間が作る社会が毒され、市民生活が荒れること。目に見えない敵に脅かされた時、人間の本能はあたかもそこらじゅうに敵がいるかのように感じさせ、私たちと同じ人々までも脅威とみなしてしまう危険があります。
ほんとうにそう、そう思う。
志喜屋港の午後
日本では、マスクの品薄でインターネットでの高額な販売があったり、ドラッグストアで店員さんがお客さんにマスク関連で怒鳴られたりして疲弊している話も聞く。また、ティッシュペーパーやトイレットペーパーがスーパーから消えたりしている。私の住む町でも同じようなことが起こり、昨日まであったティッシュペーパーとトイレットペーパーのコーナーががらんがらんになっているのを見た時には、なんだか怖いように感じがした。余っていたのは、チリ紙のみ。チリ紙上等!じゃないかと思い、私はチリ紙を買った。昔、おばあちゃんが一回使用したチリ紙を丁寧にたたんで、またポケットにしまっていたことを思い出した。古い端切れを使用していた家もあったなあ。
また途上国に住んでいた時、トイレットペーパーが買えない家のトイレには、雑誌の束が置かれていて、それで拭いていた。
色々な工夫はできるけれどなあ・・・と思いながら。
このような状況の中で、少しほっこりするような話が届いた。
このようにティッシュペーパーがなくなったりする中、オランダでは、イーストが品切れになっているそうな。
コロナで外出を控えるようになったら、家でパンを焼いて食べる、という発想のよう。
お国によって、品薄になるものは違えど、国民性が出るのか、何なのかはわからないけれど、考えさせられる行動の違いではある。
また、イタリアで休校になったある学校の校長先生から、生徒に宛てた手紙は素敵だ。
(一部抜粋)
冷静さを保ち、集団パニックに巻き込まれないでください。具体的対策(手洗い・うがい)を怠らず、日常生活を続けてください。
この機会を利用して、散歩をしたり、良質な本を読んでください。体調に不備がなければ、家にこもっている理由はありませんが、スーパーや薬局に殺到し、マスクを探しに行く理由もありません。マスクは病人の人に必要なものです。
人間が作る社会が毒され、市民生活が荒れること。目に見えない敵に脅かされた時、人間の本能はあたかもそこらじゅうに敵がいるかのように感じさせ、私たちと同じ人々までも脅威とみなしてしまう危険があります。
ほんとうにそう、そう思う。
志喜屋港の午後
2020-03-12 21:36
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